2023年08月24日

LINE Twitter やめるかやめないか・自分の為になっているかなっていないか

こんにちは


昔の自分のブログを久しぶりに見ていたら
(このブログではない、livedoorブログ
育児の事、家事分担、仕事への愚痴・怒り…雑多
このPR用ブログと違い、吐き出し系だが断然面白い)

日常の色々な事に関して
すごく一生懸命考えていて、びっくりした。
そう、カウンセリングにも通ってたんだな。

その中に、LINEを始めるか始めないかで躊躇している
正直な気持ちが素直に書き起こされていて、感心してる。
そうだ、こういう風に将来の自分を「心配・憂慮」していた。
そしてそれはかなり当たっている。



■たかがLINE、されど…
2016.12.31


こんにちは

ちょっと「つぶやき(ひとりごと)」です。


いい加減はじめないといけないと思ってるLINE。

もう、私しかやってない人いなくて、
そのために、幼稚園のオフ会幹事の決めたことなんかも
親切な人が後で要約してメール送ってくれたり
わざわざ日程の調整私だけにメールくれたり

もういい加減はじめないといけないと思ってるLINE。

来年は、幼稚園の役員に当たるかもわかんなくて
娘は役員してほしいって言うし
私も息子娘お世話になる5年半(息子満3で途中入園したので)のうち
1年くらいしてもいいかなって思うけど
メアドしか持ってなかったら、また今回みたいに迷惑かけるから

いい加減はじめないといけないと思ってるLINE。


うじうじ書いてるヒマあったら
さっさとアカウントつくればいいね。

でもね。

文字のコミュニケーション(特にママ友)がちょっと苦手で
つい最近までメアドまで消去しようかなって思ってた程
日常的に、メールに(メールにすら)消耗してる気がしていてね。

なんだか踏み出せないのです。。

これって幼稚園ママの特徴なのかなぁ?

高校友達、大学友達、元同僚、とはあまり起こりえないんだけど

約束を決めるとか、単に物事を伝える、とか挨拶、ではなくて
共感重視?のコミュニケーション、
いつ終わるか不明のコミュニケーション。。

これが何だか私にとっては厄介で。
苦手ってだけでなく、すごく心を助けられもするから複雑。

文字のコミュニケーションって、
時間を使っていくらでも相手が望む言葉を考えることができるし
そのことですごく助けられたり
自分も力になってあげようと思いすぎたり
ちょっと・・自分のエロ心でね、自縄自縛してしまうことがあります。

自分がすごくドライな性格なので
そのまま文章打ったらすっごいぶっきらぼうな文章になっちゃうので。

こういうときあのお母さんやったらなんて返すんやろう?なんて考えてると
スマホ片手に1時間経ってるなんてざらで。

こういうのを振り返ると、文字のコミュニケーションツール、メールだけでも一杯一杯なのに
更に増やすのとか、スタンプ(?)とか。
使うの、面倒くさ・・・てなっちゃうのです。。

もうひとつ「しんどいな」って思うのが
なんかみんなで決めるときね。。

オフ会でも役員でも基本「集まり」があって、そこで何かを決めて
次の「集まり」までに何をするかと、何を話し合うか決めるんだけど
もはやLINEはその「集まり」を補完する役割じゃなくて
LINE自体が主の役割を担ってることが多いよね。

それが何だか私にはもう、
自分のプライベートをどんどん「役割」が侵食してくるようで
内心「やめて〜」なんです。。

月1回とか、週1回、何時間っていう「集まり」という時間の枠が緩んで
しかも「向上心」の強いメンバーだらけだったら
LINEでいくらでも打ち合わせができて
こうすればもっと良くなるこうすればこうすれば・・

「役割」に捧げる自分の時間の際限が無くなっていく気がして。

なんだかなぁ、ってかんじです。


いや、ぶつぶつ言ってるけどでも

もういい加減はじめるよ。
人に迷惑かけたくないし。


ただちょっと、不安とかためらいを吐き出したかった(笑)

ツールが問題じゃなく、使う人の意識が問題だからね。
振り回されないように、期待されすぎないように、時間を取られすぎないように

そのままの「ドライな自分」「ドライな文章」でいれば・・

いいだけだよね(^^)


確かにこう考えていた。
始めてみてどうだった?
そうね、LINEをしていない事で人に迷惑はかけなくなった。楽しいコミュニケーションも出来た。
画像もすぐに送れるのは便利…
息子の少年野球の幹事に当たった事をきっかけに、この記事の2年後位に始めたLINE

だけど。
心配してた2点には、実際に悩まされた4年間では無かったか。

そして、今辞めて誰か迷惑をかけるか?
かけたところで、心から申し訳なく思う類の迷惑だろうか?

「ドライでぶっきらぼう」だった私は
マメな対応も出来るようになったけど、その変更は必要な事だったのか?
自分の、短所を補って長所を損ないはしなかったか?

もう辞めてしまおうか?

それは世捨て人のような態度か?

後悔するか…?

LINE以外連絡先知らないこれまで会ってきた人々もいる…

結論出ない。次。



■Twitterについて


これ、充分に自戒しないと間違った使い方をしてしまう。
考えを整理するためにツラツラ書いてみよう。

まず、
「なんのために使う?」
→自分の仕事をたくさんの人に知ってもらうため
 ブログとか今時読む人少ないし、PRするツールは必要…納得できる

「じゃあどうやったら、たくさんの人に知ってもらえる?」
→ハッシュタグをつける、
 あとやっぱり作品の完成度が高い事…これは納得できる

→とにかくたくさんの人をフォローして
 素敵な投稿にはリツイートといいねをして好感度を上げる、
 そして色んな人と友達に…
 これは自分のやり方ではない、だけどそうしたくなる
 人間をそうさせる仕組みが計算されて仕組まれている

これが促す自分の変化を自覚しているなら
もう辞めるべきなのかもしれない。

…辞めてしまおうか?

livedoorブログ書いてた時の自分の方が
よっぽど仕事への集中力は高かったのではないか?
当時は作業中にメールやLINE、着信で集中を乱されるのが我慢ならなかった。
いまは気にならない、だけど「集中を乱されて気にならない」自分は
実は集中していないのでは…?

また、これはマズイ(自分らしくない)と思った事が最近1つあった。
息子が1人でお出かけ中、自転車で転び、手当を道路の店前の人がしてくれた。
それをこともあろうに、Twitterで感謝コメントしようとして自制したのだった。
「今日息子が●●で転んだのですが、▽▽の店のお二人(男性と女性)が
丁寧に手当てをしてくださったそうです!!本当にありがとうございます。」
みたいに。

近所なのだからお礼は直接相手の目を見て言えばよくないか?
ネットを巻き込む理由はあるか?
「そういう親切な人がいるお店として好感度を主張、宣伝」することは
果たしてお礼か?直接伝える事の代わりになり得る事か?
自問して止めた。

こういうTweetも最近見かけた。
「ここに無断で停めてる人。自分はこのまま帰るけど後は知らんよ」みたいな文章と
無断駐車の車と、その前にギリギリに停めた自分の車をアップしたTweet。
それが6万超の「いいね」

「晒す」事が抗議の表現?
手紙を貼る等して抗議する事はできなかったか?
1人の人間として、その車の持ち主1人に抗議をする。
それでは駄目なのか?
ネットを巻き込む意図は?

目の前の人に直接伝えるべき、伝えないと気が済まない
お礼
抗議
怒り
お願い
指導
自分の意見、価値観

これが、ネットでガス抜きされて良い訳がない。

ましてや、自分で文章を書く手間までを惜しみ、
他人の文章にリツイートやいいね!で満足する自分になってしまっては…!

そういう!自分に!なっては!いけない…!

今の自分を最大限PRするならホームページも大事
ブログも大事、Twitterも大事。

でも何よりも大事なのは自分の価値自体を向上するための構想、制作時間
深くものを考える時間…
限られている時間はそっちに費やす。

まぁでも、止めるを検討する前に、一旦「ひふみ造形室 文山明子」と本名を追加するか。

自己ブランディングも程程に。
集中して歩いていこうと思う。


夜中1時半の独り言でした。

(造形関係ないね、2024冬ワンフェスの申請はしました)








posted by ひふみ at 01:38| Comment(0) | 日記

2023年08月15日

私と「ひふみ造形室」

こんにちは


「ひふみ造形室」を始めたとき(6年ほど前)の目標と
今考えている事は、随分と違ってきていると感じる事が増えたため
ここにツラツラとまとめてみようと思う。


■3Dモデリング&3Dプリンター、ZBrush

ZBrushを使用してモデルを作成し、3Dプリンターで商品を作る。
これを始めたのは、私は、かなり早い方だったんじゃないかと思う。

私がZBrushを始めた当時、
3Dプリンターは、光造形Form2の60万位が「ずいぶんコスパのいい機種が出た」
という世間の反応(私も)だったので(7〜8年位前?)
お財布事情的に、とても自宅に購入できなかったのと、
もう少し待てば、10万以下でコスパの良い機種を手に入れる事も
出来そうだ、という予感もあったと思う。

とにかく始めた当時は自分でプリンターは持たず、
作ったデータはとにかくDMMで出力していった。

当時講座をさせて頂いたYOKOITOさんでは
データを送っては無料で、出力していただいていた。
今自宅で光造形の出力に苦労している事を思えば、随分厚かましいお願いではあったと思うが
当時は、電子レンジで食品が温まるように、
出力自体に技術や苦労は要らないもの、と考えていた。

「なぜ皆これを始めないのだろう?こんなに楽しいし、可能性があるのに、不思議だ」

この1点の動機で、
随分エネルギッシュに、実績も何もない所から
色々と頑張ったものだと思う。

それから随分苦労はしたけれど、
見渡してみれば、ワンフェスでも3Dモデリング派はどんどん増えて
過半数を超えてるんじゃ?という雰囲気だし、
コスパの良い機種、良いレジンが色々と出て、
3Dプリンター出力品を商品に出来るようになってきた。
(販売個数分3Dプリンターで出力する、
後処理を考えても、原型を型で複製するよりそっちの方が効率的になる、という程までの
積層痕の目立たなさと、出力物の強靭さ、等)

ということで、始めたての動機はもう消滅してしまったが
「こんなに可能性があるのに、楽しいのに、なぜ?」という気持ちは、
私が寄与する所は微々たるものではあったけれど、報われたことになる。

3Dモデリングと3Dプリンターの可能性については、
「フィギュアの分野でかなり活用可能性があるのでは?」と感じたからこその
ZBrushの勉強と、ワンフェス参加、フィギュア業界への参入だった。

フィギュア業界ではもう充分価値は認められているけれど、
他の分野での活用可能性はないだろうか?
あるとしたらそれば何の分野?
そういう所に今は興味がある。


■ワンフェス

これも、
「私はこれを3Dモデリングと3Dプリンターで作ってまーす!どうですか?」というのを
披露したい気持ちがあって始めた事だったけれど
途中からは意味が変わってきたと思う。

そもそもお客様にとっては、型複製であろうが出力品であろうが、
正しく組めて、塗装しやすく、気に入った商品ならば
商品が作られたプロセスはあまり関係がない。

3Dモデリングと3Dプリンターのものづくり、というのを前面に押して
自分をアピールするなら、技術展とか、もっと別のイベントに出たら良かったけれど
ワンフェスは、別の意味でアピールしたいものがあって、毎回チャレンジしていた。

それは、「女の子」「女の子フィギュア」「人形」に対して
あまりにも幼稚な、従順な、都合の良い、そして女の私から見ればダサい
ものが量産されている状況があって、
それに対して「キモい」「適切でない」「男が作った手前勝手な造形」など否定の姿勢でもって対峙することもできるけれど
それでは「糞フェミ」等と罵られるばかりだし、
否定、毛嫌いする姿勢だけではなくて、
「では私が良いと思うもの」を一生懸命作ってアピールすることで
対抗しよう、という気持ちがあったからで、
それを表現するのには、自分が小学生の頃に夢中になった
セーラームーンの力を借りる必要があった。

この気持ちは強くなっていく一方で
「でもワンフェスでなくても良いのでは?」
「ワンフェス以外での、その気持ちの表現の方法は?」という自分の中の声も
強くなっているように思う。

セーラームーン、等の版権物は、こういったイベントでないと
販売不可能なもので、それは出来る限り頑張りたいけれど、
なんというか…ワンフェス、が
転売、買付の場と化していってる感じもあり、
オリジナルのものが増えて、
ハンドメイドイベント、の意味合いが増えていっているのもあり、
当初の(私もはじめの方は知らないが)ワンフェスとは随分違っているように思う。

私の考え方としては
「ここでしか生まれないものが生める場所がワンフェス」
「今日この日だけは、大好きな版権物キャラクターを売ることができるワンフェス」なので
商品の、気泡やちょっとした欠け、説明不足
それらはオールオッケーなのである。

もちろん、買っていただいた人には
正しく作ってもらいたいし、作りにくかったという声を頂いたら
それが何故か、どうやったら次回改善できるかは一生懸命考える。

でも、作りやすさ、親切さを重視するあまり
2キャラ作れたところが1キャラになってしまったとすれば
そちらの方を「損失」とする考え方である。

でももうこの考え方はもう古い。
自分でパテで気泡を埋めて、真鍮線で軸を入れて
サフ吹いて、塗装して…というお客様が、若い人の中にどれ位いるだろうか?

ガレージキットを組み立てて塗装して完成させる…
この根気の必要な、でも楽しい、作業を
楽しんでいる人口が細っているように感じられる中
いつまで自分の作品は売れるだろうか…?

簡単にいうと
「この状況で、版権物ガレキに、いつまで拘る?」という声が大きくなってきていて、
「いや、自分のクオリティが向上すれば、問題にはならない事でしょ?」という声が
ぶつかってうるさいけれど
とりあえずは、後者の方の声を重視して、次の作業は向かいたいと思う。


■ものづくり、環境、次の世代

無駄なものをたくさん作ってきて
こんな事を言うのはおこがましい、という気もあるけれど
「環境」「次の世代」
というキーワードがないと
自分の活動に熱を持たせ続けることは出来ないのではないか、という気がしている。

何人かの生徒がいる。
大学でも教えている。

彼ら彼女らが、どうなったら先生としてはうれしいのだろうか?
売れっ子の原型師になったらうれしいのだろうか?
300円ガチャの商品の中に、「原型:●●」という名前が載っていたら?それが達成?

というよりも
そうではなくて

…では何?

というのを、考えていきたいと思う。

















posted by ひふみ at 15:10| Comment(0) | 日記